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ご機嫌いかがですか?
いま、そのときに思っていること、感じたことを、述べたらなと思う次第であります。

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イグサのいい匂い…

畳の歴史
中国伝来のものが多いなかで、畳は日本固有の敷物だそうです。
その歴史は「菅畳八重」「皮畳八重」などの記述がある古事記にまでさかのぼるそうです。まだ畳床などはなく、コモなどの敷物を重ねたものと推測されます。現在の畳に似た構造になったのは平安時代になってからなんだとか。
板敷に座具や寝具として置くという使い方で、使う人の身分によって畳の厚さやへりの柄・色が異なッだそうです。

鎌倉時代から室町時代にかけ、書院造が生まれ、部屋全体に畳を敷きつめる使い方に発展したそうです。それまでは高貴な人や客人のもてなしのためのものだったそうですが、建物の床材として利用されるようになったのです。しかしそうした使い方も貴族や武士の富の象徴で、桃山時代さらに江戸時代に至るなかで、数奇屋造や茶道が発展して普及し、徐々に町人の家にも畳が敷かれるようになったそうです。
それでも身分による畳の制限の風習は残り、庶民が使用できるようになったのは江戸時代中期以降になってからだそうで、畳師・畳屋と呼ばれる人々が活躍し、畳干しする家々の光景があちこちで見られるようになったそうです。
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イグサ
湿地や浅い水中に生える植物で、泥に根を下ろしているそうです。
植物としての姿はちょっと変わったもので、先のとがった細い茎ばかりが束になったような姿をしているそうなんだとか。
針のような体毛を持つヤマアラシが頭から泥に突っ込んだように見えるそうです。
実際にはこの針状のものは花茎に当たるそうで、茎は地下茎となっており、泥の中で短く這っているのだとか。
多数の花茎を地上に伸ばし、葉はその基部を包む短い鞘状のものに退化しておるそうでして、外見上はないように見えるそうです。花茎は円柱状で真っすぐに伸びる。緑色で表面には艶があり、すべすべしているのだとか。

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イグサの日本における主な産地は熊本県八代地方だそうです。
国産畳表の8~9割のシェアを誇るそうでして、また歴史的文化財の再生にも使用される高級品を出荷するそうです。他には石川県、岡山県、広島県、高知県、福岡県、佐賀県、大分県でも生産されているそうです。

青山一丁目「割烹大さこ」さん

当店のお客様でもありますOさんが最寄り駅が
青山一丁目駅から徒歩で15分ぐらいのところ、
素敵なお店「割烹大さこ」さんを開かれました。
Oさん誠におめでとうございます。
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Oさんは長らく麻布十番にあります、和食のお店の
「あみ城」さんで料理長をお勤めになられました。
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熊本出身のOさん。年齢も僕と同い年ということで、色々話が合う合う。
流れの中で、僕の店で、9月.10月の2ヶ月の間、日曜日限定で、寿司を学びたいとのことで一緒に働くことになりました。
僕もOさんと一緒に働いてみて、とっても勉強に、なりました。流石は、競争の激しい麻布十番という場所で7年近く和食のお店の料理長をされていた腕前を遺憾なく発揮され、僕も暫し、Oさんの鮮やかな仕事振りに目を奪われました…。
とにかく仕事の的確さ、段取りの正確さが凄い方。
朝9時45分に入店されてから、夜10時半に退店されるまでに、休みなく完璧なまでのハードワーク。
僕も一緒に働いてみて、Oさんの先を読みながら仕事をされる様に京都のやましたでの修行時代を思い出しました。やはりレベルの高い人と一緒に仕事をすると、仕事ってこんなに楽しいのかということを、久しぶりに思い出しました。
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Oさんのいただいたお料理で感銘を受けたのは、馬のレバ刺し。馬だけは、お肉類の中で生でいただけるそうで、その美味しさには目を見張りました。
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以前から思っていたのですが、何故に熊本県では、馬肉文化が発展しているのか、この際に調べてみました。
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馬肉はいつから食べられていたのだろうか?
 馬肉文化の歴史は675年に日本最初の天皇・天武天皇によって肉食禁止令「牛馬犬猿鶏の肉を食うことなかれ」とあるため、少なくともこの頃には馬肉が食べられていたそうであります。
  日本人と馬の付き合いをさかのぼると、2000年も前の弥生時代、家畜としてモンゴルからもたらされたのが最初といわれているそうであります。
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なぜ熊本県で馬肉を食べる文化ができたのだろうか?
 馬肉・馬刺しを食べる文化が広まったのは、肥後熊本藩初代藩主の加藤清正にルーツであるという熊本県の俗説が有力なんだそうです。
 400年前の文禄・慶長の役当時に豊臣秀吉との朝鮮出兵で大陸に渡った際、食糧が底をつき、やむを得ず軍馬を食した事が発端となったそうです。
 帰国後も好んで馬刺しを食べたことだそうで、その後領地である熊本で馬刺しを食べる文化が
根付き、全国へと広まったとされているそうであります。
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Oさん、奥様、たいへん美味しいお料理、なかなかいただけない九州のお酒の数々、ありがとうございました。こんなに満ち足りた夜を過ごせたのも久しぶりでした。誠にありがとうございました。

人生最良の日

ふたたび巨匠を迎えて。
お二人の鋭利な刃物のような鋭い視線、コメントが
ハンパなかったです。見ていないようで見ているという…凄い感覚。集中力が他の方とは異次元のよう。日々の鍛錬の大切さを深く、認識致しました。
本日もまたまた沢山の気づきがございました。
頑張りなよと温かい叱咤激励をいただきました。
巨匠お二人の、お金よりも、とにかく良い仕事がしたい。お客様に喜んでもらいたい。という熱き御言葉が身に染み入りました。
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料理人になって初めて良かったと思えた日だったかもしれません。
自分が10代の頃から憧れの方々の前で、仕事をすることができて、本当幸せなひとときでありました。
竹間さん、幸せな瞬間を作っていただきまして、
誠にありがとうございました。
もう思い残すことはないくらい、今夜は幸せでした。感謝!

関東屈指のお豆腐屋さん 「仙波豆腐」さん 後編

川越。あの全国にもその名前が轟いておられます
あのなごり雪というお豆腐の創始者Oさんのお店、「仙波豆腐」さんがある場所。今までずっと行きたいと思っていた場所でしたが、今回ようやく伺うことが出来ました。
東武東上線に乗ったのも、高校の時に剣道の部活で大山高校まで練習試合をしに行った以来で、実に33年ぶりに乗ったのを思い出しました。随分と昔話になります。そんなわけで道中のワクワク感が半端ありませんでした。
川越の名前の由来が気になったので、あとで調べてみました。
川越市が発表している「川越市歴史的風致維持向上計画」によると次のような記載があるようです。
川越市の名称は、12世紀後半、現在の川越市上戸・鯨井地域に居館を構えた河越氏を由来とするそうです。
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河越氏は、もともとは秩父氏一族の方だったそうで、鎌倉時代ごろに今の川越の地に移り住み、入間川西岸にカワゴエいう名前の荘園の荘司となり、名前を河越という名前に変えて、以後勢力を広げて、この地を河越という名前にするまでに至ったとのことだそうです。その後、室町時代には今の川越という字も使われるようになり、江戸時代には川越という名前が正式に用いられるようになったのだとか。
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川越と言えばサツマイモのイメージがありますが、
現在はOさんによるとほとんど栽培されてはいないとのことです。
川越とサツマイモの歴史についても気になったので、あとで調べてみました。
川越地方で初めてサツマイモが栽培された場所は、現在の所沢市・南永井というところなんだそうです。
 その土地の名主だった吉田弥右衛門さんは、当時のサツマイモ栽培の先進地である上総国志井津村(かずさのくにしついむら、現在の千葉県市原市椎津)から種イモ200個を取り寄せ、栽培を行なったそうです。これが川越イモのはじまりだったとか。
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川越にサツマイモのイメージが定着したのは、寛政時代(1700年代末)のことで、このころの江戸では焼イモが大ヒットしていたんだそうです。
 理由は、サツマイモが庶民の食べ物では、数少ない甘い食べ物であったこと、そして、とても安く手に入ったからだそうです。
この大ヒットを受け、近郊の村々では、こぞって江戸向けのサツマイモを栽培するようになり、中でも、川越イモは、質がよく最高級品とされていたそうです。
 このように質も良く、流通量も多かったことで、天保時代(1830年ごろ)の書物「諸国名物番付」には、サツマイモの代表産地として川越地方と記載されたそうです。ここから川越=サツマイモというイメージが定着したそうであります。
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男が惚れる男。
仙波豆腐さんのご主人のOさんは、粋というお言葉がまさにぴったり合う、イタリア語で言うグランデウォモである。Oさんの粋さには学ぶことが多すぎます。
僕の店に来ると、中々手に入らない御煎餅のおかきをたっぷりとどーんと。いいんですか、こんなに?川越に着いてOさんのお店に行ってみても
いいから持って行きなよ、とお店の商品をまるごとどーんと。え?まじっすか。川越名産の和菓子の数々をどーんとたくさん。こんなにいいんですか。お仕事中なのに、川越をお車でどーんとご案内していただいたり。誰もが真似出来ない大人の粋さ。懐の深さ。
大人のおもてなしというものは、実はこういうもんなんだぜ、と身を持って教えていただき、学ばさせていただきました。いやあ凄いお方なんです。
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毎朝早くから仕込みをはじめられて、お身体がくったくったになるまでお働きになられて、Oさんの真心と愛情が入った珠玉の作品といってよいお豆腐の数々…。
心してすべていただかせていただきました。
幸せな気持ちにさせていただきました。
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親父さんが苦労して造った今のお店をずっと残していきなよ。今風のどこ行ってもおんなじの氷の冷蔵庫をこれ見よがしに置く何々工務店さんが作った寿司屋なんて、絶対やらないでね。
粋というのはそこじゃないんだから…
Oさん貴重なお言葉の数々誠にありがとうございます。m(_ _)m


関東屈指のお豆腐屋さん「仙波豆腐」さん 前半

台風吹き荒れる東京。
ジェットコースターのような飛行機に乗ったのは
人生初。生きてて良かった!
旭川空港からなんとか着陸し、
そのまま羽田空港から直行し、
目指すは人生初の川越。
しかし、機長は凄い腕前だった。
冷静沈着。
キャビンアテンダントさんの的確な指示も
心を掴まれた。
まさにプロフェッショナル。
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雅人深致
がじんしんち。
世俗を超越した高尚な人の持っている深い趣のこと。
「雅人」は風雅を理解できる才知のある人のこと。
「深致」は深い風情のある様子。

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男が惚れる男に会うために。

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