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いま、そのときに思っていること、感じたことを、述べたらなと思う次第であります。

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あなたと越えたい天城越え パート6

松本清張氏が書かれた小説「天城越え」
もまた、川端康成氏が書かれた小説
「伊豆の踊子」と同様に天城峠を舞台に書かれた小説であります。

伊豆の踊子と同時代を舞台設定にした小説
であり、内容は主人公の10代の少年が殺人を犯してしまうかなりのサスペンスに満ちたものになっております。



後ほど

あなたと越えたい天城越え パート5

水は化学では酸素と水素で形成されている
そうですが、元素は目には見えないもの
なので、そうなのかなぁというのが
実のところの思いではあります。

水を美味しいと思うのは、よりピュアに感じられるかという、余計な味を感ぜずに
澄んだ、その水を飲むことでより引きこまれるような感覚を覚えること。

水の種類には硬水と軟水があり、
それぞれの違いはカルシウムとマグネシウムの含有量の違いからくるとのこと。
伊豆湯ヶ島の水が何故美味しく感じられたのかを、静岡県の情報でありますが下記の表を資料として見つけることが出来ました。

「おいしい水」の条件を旧厚生省(現厚生労働省)が昭和60年に「おいしい水研究会」を設立し、「おいしい水」の要件を示しておられます。
それによると、適度なミネラル分(蒸発残留物・硬度)や炭酸ガス(遊離炭酸)を含み、味を悪く感じさせる臭気や残留塩素が少ないことが挙げられるそうです。
伊豆湯ヶ島で味わった水もこの条件範囲内
に当てはまるのでしょう。

普段から東京の水、うちの方だと葛飾区にあります金町浄水場からの水に慣れている
から、余計に感じたのかもしれませんですが。自分の中では突き抜けるような美味しさを感じた湯ヶ島の水。
この水で自分で出汁を取ったらどういう味になるのか試したい衝動に駆られました。

湯本館さんでのお食事。
清流狩野川のせせらぎの音がやはり
圧倒的。
非日常感を否応なく感じさせていただきます。
戴いたお料理は、たぶん日々のルーティンなお料理だと思われますがかなりの熟練度を感じさせてくれます。
一品逸品がしっかりとした精度のある出来栄え。
特に前菜でいただきましたアマゴの甘露煮と姫サザエの旨煮に、こちらの板長の年季の入った技を思わず感じ入りました。

湯本館さん、僕の中では圧倒的なお水の美味しさが一番印象が残ったお宿でございました。

あなたと越えたい天城越え パート4

川端康成氏が一高時代に訪れた宿、福田屋さんを後にして次の目的地の今宵泊まることになります宿、湯ヶ島温泉にあります湯本館さんへ行くことに。


こちら湯本館さんは、川端康成氏が小説「伊豆の踊子」を執筆したお宿とのこと。
紛らわしかったのですが、先の福田屋さんは踊り子達との触れ合いを体験したところで、湯本館さんはその情景を小説として纏め上げた場所とのこと。

清流の狩野川の畔に位置するこちらの湯本館さん。自分の人生で一番美味しいと思った水に出会った場所。
忘れられない宿となりました。

川端康成氏が生前、自分の住まいのように
何度も訪れられたこのお宿。

自らも泊まってみて思いましたが、
そのお気持ちが良く分かりました。

此処にいるだけで自然と清らかな清々しい気持ちにさせてくれる
この地、湯ヶ島温泉。
忘れられない想い出となりました…

あなたと越えたい天城越え パート3

福田屋旅館さんを訪れました。
川端康成氏が一高時代に訪れた当時とほぼ
変わらぬ佇まいで。

小説「伊豆の踊子」をはじめて読んだ20歳の頃、その後にまさかこの地に訪れることになるとは思いもしませんでした。
えもいえぬ感慨深いものを感じました。

福田屋旅館さんの二階に上がらせていただきました。
多分何千人の方々が上がっただろうこのゆったりとした少し軋む階段を上がる時に、
自らの存在の立ち位置を考えてしまいました。
明治12年の創業。文化財にしてほしいくらいに、幾たびの歴史を重ねてきた凄味を
建物から感じ入ります。


川端康成氏も見ただろうお部屋の窓からの河津川の景色を見て、自らの胸の奥底から湧き出る高ぶるような感慨を、抑えるのが大変でありました。


自身初めて恋心を持つ対象として出会うことになった踊り子の一座の娘。
彼女を見つめる目は、今迄経験したことがない心激しく揺れ動くものであったに違いない。

その心情が自分の10代の頃に経験したことと思わず重なって見えて、ひどく胸が熱くなった瞬間でありました。


あなたと越えたい天城越え パート2

今回訪れることになりました伊豆。
その「伊豆」の名前の由来を調べて見ますと諸説あるようです。
 1. 温泉(湯)が「出づる」国(つまり湧泉地)であったから
 2. 海のほうに「出る」地形で、突出した半島だったところから
 3. 熱海の「井津」という地名から(「井」は湧水地、「津」は船着き場の意味と考えられる)
・・・などが挙げられるそうであります。
奈良時代の律令によって現在の「伊豆」、つまり当て字で呼び名を再現した名称へ変化したと考えられているそうであります。

また今旅のメイン、天城地方。
所謂、天城山周辺を指す地域についても調べて見ました。
天城山(あまぎさん)は、静岡県の伊豆半島中央部の東西に広がる山だそうです。
天城山は連山の総称だそうで、天城連山や天城山脈と称されることもあり、日本百名山の一つに挙げられております。
伊豆半島最高峰の万三郎岳 1,406m、万二郎岳 1,299m、遠笠山1,197m等の山々から構成されていて、東西の山稜部は富士箱根伊豆国立公園に指定されているそうです。

また天城の名前の由来を調べて見ますと、
天城山は古来から多雨地帯であるそうでして、「雨木」という語が由来であるとする説があるようです。また、 葉に多くの糖分が含まれているアマギアマチャ(天城甘茶)という、ヤマアジサイに近い種類の植物があり、日本国内にはこの葉を乾燥して甘茶をつくり薬用や仏事に用いる風習が残る地方があり、そのアマギアマチャが伊豆の山地に多く自生しており、かつて天城山周辺の住民にも同様の風習があったために天城山の名になったという説があるそうであります。

川端康成氏。
鎌倉幕府三代執権の北条泰時氏を始に持つ川端家。
名家に生まれた川端康成氏は川端家31代目の当主であったそうであります。
しかしその名家に生まれた川端康成氏でありましたが、その少年時代は
は波乱万丈を字で行くがごとく、その物すごすぎる運命に驚かされました。


大阪市北区の開業医の家に生まれるも、3歳の時に両親が相次いで結核に罹り、
この世を去られ、その後父方の祖父母に育てられるも祖父母も15,6歳頃には
相次いで亡くらられ、唯一の兄妹であった川端氏の姉も同じ時期に心臓の病で
この世を去られ、16歳にして、孤独の身になられれてしまったそうでございます。

祖父母が残してくれた小さな家を売り、それを元手に猛勉強をして
なんとか一高(東京大学教養学部の前身)に進み、その後の人生を切り開かれた 川端康成氏。
氏が書いた過去の書物を通して、僕自身寂寥をというものを何となく全体から受けるトーンとして
感じておりました。
今回、氏が一高時代に訪れた天城湯ヶ島を巡ることにより、何が自分の中に植え付けられることに
なるのか、色々感じていければなと思う次第でございます。