ご機嫌いかがですか?
いま、そのときに思っていること、感じたことを、述べたらなと思う次第であります。

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箱根紀行  ラスト

四時間半ほどの芦ノ湖畔巡りを終えて、元箱根にたどり着き、旅の疲れを癒そうと
元箱根にあります「むさしやホテル」さんがやられておられます日帰り温泉に寄らせて
いただきました。月曜日ということもありまして、利用者は他におらっしゃれ無い貸し切りで
のんびりゆったり
img_restaurant3.jpg
その後、同じ通り沿いにあります
新潟県妙高市にあります赤倉観光グループさん直営の
「ベーカリーアンドテーブル箱根」さんに寄ってみることに・・・

一階と二階ははパン屋さんとカフェスペースになっており、
この日は三階にありますレストランに寄らせていただきました。


さすがは有名ホテル直営。
インカムした従業員の方々の動きがフレキシブルで洗練されておられます。

前面の窓から見える芦ノ湖の景色がまたため息が出るほど美しい・・

いただいたお料理も卒なく美味しい・・。

元箱根に来られた時、こちらはとってもお勧めです。。

このシリーズ終わります。

箱根紀行 パート2

箱根に来るのは、これで3度目になります。
過去2度の訪問で箱根の主だった名所と言われるところには訪問を済ましていることもありまして、今回はバスを降りた桃源台から元箱根まで徒歩で芦ノ湖畔を周遊する旅となりました。
前回箱根に来た時は、桃源台から海賊船に乗って元箱根までのあっという間の旅程でありました。今回は歩きということもあり、途中色々と寄り道しながらではありましたが実に4時間を超えるゆったりとした旅路でした。


訪問したのが11月ということもありまして、道中道すがらの樹木の葉の色も黄色や赤に色づき、
先程の仙石原で見た白化粧されたススキと相まって、秋の箱根の装いを否応なく感じさせてくれました。



箱根の名前の由来を調べて見ますと、箱根山が箱の形をした山に見える
古都からその名前がつけられたとか・・。

芦ノ湖、これほど近くでゆっくり見続けたのも感慨の想い。

秋の紅葉の季節相俟ってその美しさが心を震わせてくれました。

木々の臭い、湖のせせらぎ、行きかう道すがらの人たち。
そのすべてが秋の情景のようで、
箱根の素晴らしい絵手紙のようでございました・・・。

新シリーズ 箱根紀行 パート1

昨年の11月に札幌におります妻の父が毎年恒例行事となっております
埼玉県東松山市で行われます3日間連続30キロ計90キロ歩行大会に出場される
という鉄人ぶりにはいつも驚かされますが、昨年も参加されて完走されるからまた凄い!
最終日の夜に家に寄っていただきまして、翌日当店の店の前にあります柳の木を伐採して
いただきまして、その晩はいつものごとく銭湯に行って、地元にあります「養老の滝」さんで一杯
をあげる流れ。翌朝早朝に羽田空港へ行き、札幌へ帰られる義父をお送りしまして、そのあと
羽田空港から箱根にあります芦ノ湖湖畔の桃源台駅まで小田急の高速バスが出ていることを
知り、妻とともに日帰り箱根旅行へ行ってまいりました。



バスに乗っている間は、ほぼぐっすり寝ておりましたが、途中富士山が良く見えるよと妻に揺り動かされ、寝ぼけまなこでとりあえず写真を撮り、また箱根に着くまで熟睡(苦笑)。
しかし、月曜日とはいえ羽田空港で乗車してから途中駅の横浜を経由しても、我々含めても僅か四人だけというほぼ貸切り状態の箱根までの道中。多分月曜日ということもありこの人数、土日祝日ともなればもう少し乗る人も多いのでしょう。
でもなんだか申し訳ないと思えるほどのゆったり気分の道中でございました。


アニメ新世紀エヴァンゲリオンの第3新東京市の舞台ともなった箱根千石原。
11月の初旬ということもありまして、ススキの名所ということもありまして、辺り一面すすきが
実に雄大に綺麗なさまを見せてくれております。

約3時間の道中運賃2,300円のとっても安上がりに目的地の箱根芦ノ湖畔
桃源台に到着いたしました。安上がりに旅行を楽しむことを信条とする妻が隣でほくそ笑んでおります。
遠くに芦ノ湖を航行する海賊船が見えますね。
お疲れ様です。

那須紀行 ラスト

那須への旅、残すところ那須最大の観光スポットの殺生石と鹿の湯温泉の訪問
を残すのみ。南ヶ丘牧場をあとにして、バスに乗ろうと思いましたら、すでに乗ろうとしていたバスは
行ってしまい、時刻表をみたら次のバスまで相当間が空いていたこともあり、天気もいいので
そこまで距離はかなりありましたが歩いていくことに・・・。まあぼちぼち行きますかと。
車で通った時は感じることはできなかった、木々からの匂い。息吹のようなもの。多くの名の知れぬ小さな草花が所々で咲いており、その様がダイレクトに伝わってきます。これぞ歩くことでしか感じることのできない醍醐味なのかなと。
ただ車道が全面の通りなので、歩道といわれるところは白い線の外のほんの僅かのスペース、なので
車がたまに横を通るときは、思わずひかれないよう注意しなければならないほど、結構歩き辛いものを感じます。


奥の細道の作者でもあります松尾芭蕉さんも、その道中でこちらの那須高原を訪れられておられます。
現代文版
「黒羽を出発して、殺生石に向かう。伝説にある玉藻前が九尾の狐としての正体を暴かれ、
射殺されたあと石に変化したという、その石が殺生石だ。
黒羽で接待してくれた留守居役家老、浄法寺氏のはからいで、
馬で送ってもらうこととなった。
すると馬の鼻緒を引く馬子の男が、「短冊をくれ」という。
馬子にしては風流なこと求めるものだと感心して、

野を横に馬牽むけよほとゝぎす

(広い那須野でほととぎすが一声啼いた。その声を聞くように姿を見るように、
馬の頭をグーッとそちらへ向けてくれ。そして馬子よ、ともに聞こうじゃないか)

殺生石は、温泉の湧き出る山陰にあった。石の姿になっても九尾の狐であったころの
毒気がまだ消えぬと見えて、蜂や蝶といった虫類が砂の色が見えなくなるほど
重なりあって死んでいた。(奥の細道朗読集HPより抜粋)


松尾芭蕉さんのプロフィールを参考までに
本名、松尾宗房(むねふさ)さん。伊賀国上野(三重県)出身の方。
松尾家は準武士待遇の農民。12歳の時に父が逝去。
18歳で藤堂藩の侍大将の嫡子・良忠氏に料理人として仕える。
藤堂高虎を藩祖とする藤堂藩には文芸を重んじる藩風があり
、芭蕉さんも良忠氏から俳諧の手ほどきを受けて詠み始めたそうであります。

28歳、初の撰集『貝おほひ』を伊賀天満宮に奉納をし、
伊賀俳壇で若手の代表格として地位を築く。
その後仕官を退き江戸へ出て、さらに俳人として修業を積まれる。
31歳の時に号の桃青(とうせい)を名乗る。
33歳、俳諧師の免許皆伝となり、宗匠(そうしょう、師匠)となる。その後
江戸俳壇の中心地・日本橋に居を定める。
当時の俳壇では、滑稽の機知や華やかさを競う句ばかりが持てはやされていた。
しかし芭蕉さんが目指したのは、静寂の中の自然の美や、李白・杜甫ら漢詩人の孤高、
魂の救済などを詠み込んだ世界。“笑い”や“楽しさ”を求める俳句ではなく、
自然や人生の探究が刻み込まれた俳句。芭蕉さんは自身の手で、
俳諧を深化させ精神と向き合う文学に昇華していかれたそうであります。

36歳、江戸の俳壇には金や名声への欲望が満ちており、
宗匠たちは弟子の数を競い合うことに終始していた。
この状況に失望した芭蕉さんは、江戸の街中を去って、
隅田川東岸の深川に草庵を結び隠棲する。
宗匠間の価値観では、日本橋から去ることは「敗北」と見なされたが、
芭蕉さんの弟子達は深川への移転を大いに歓迎し、
彼らは一丸となって師の生活を支援した。
草庵の庭にバショウを一株植えたところ、見事な葉がつき評判になったので、
弟子達は「芭蕉庵」と呼び始め、彼自身も以降の号を“芭蕉(はせを)”としたそうであります

松尾芭蕉さんも通ったであろうこの那須の大地、当時とは時代の流れとともに
歩く道は変わりはしましたが、気持ちは通じる部分もいくばくかはあるのではないかと
思いました。殺生石で感じた硫黄の臭い、鹿の湯温泉で浴びた高熱の湯。
それぞれは今も変わらぬ不変の自然の力の営み。
荒涼たる自然の重みに身を委ねて、自らの進むべき道は何であるのか、
自問自答する機会を与えてくださったこの那須の地の訪問は、
今後の財産になるものだと心より有難く思いました。
このシリーズ終わります。

那須紀行 パート3

名残惜しつつも宿をあとにして、次の目的地へ。
ご主人のご好意で次に行く「南ヶ丘牧場」まで車で連れて行ってくれることに。
9月の暑い盛り、東京のうだるような暑さに比べますと那須高原はさすがに
避暑地ということもあり温度は低めで過ごしやすい。ご主人のお話によればこの辺り、たまにはリスや鹿などの姿も見かけることができるそうで、そう言えば先日に訪れた日光では草陰から野生猿の姿を見たことを思い出して,
こちらでもひょっとしたら何かしらの小動物を見かけることができるやもと、車の窓を開けて林道の周囲を
眺めておりました。窓の外からの入ってくる風がとっても爽やか。朝の清々しさを伴い、ピュアな空気がとっても
たまらないほど心地よく、思わず気持ちがウキウキしてきます。


日本国内ではわずか200頭しかいないと言われる英仏海峡のガンジー島原産の乳用種だけを
扱って酪農をされておられる全国でもその名前が轟いておられます南ヶ丘牧場さん。
今回、那須訪問の目玉の一つとして楽しみにしておりました。
那須高原にあります南ヶ丘牧場さんの生い立ちは、戦前の満州、現在の中国東北地区北西部に
連なる大興安嶺の麓、三河(サンガ)にまで遡るそうでございます。
この三河地方に日本人が初めて入ったのは昭和10年。
満州鏡泊学園を卒業した、南ヶ丘牧場創業者・岡部勇雄さんは
、同志5人と共に開拓の第一歩を印したそうです。


戦後、苦難の末なんとか命からがら大陸から戻られた岡部さんは、国内で再び
酪農ができる地をくまなく探されたそうでございます。
縁あって那須高原の地を訪れて、荒れはれた茂地を丹念に酪農ができる地に
長い年月をかけて耕されて、今の南ヶ丘牧場の礎を成されたそうであります。
その岡部さんの想いが込められたこちらのガンジー乳牛から搾り取られた美味しい牛乳。
国内の乳牛の99パーセントはオランダホルスタイン原産のホルスタイン種の乳牛という
現状の中で、イギリスジャージー島原産ジャージー乳牛と並ぶ濃厚乳で呼び声の高い
ガンジー乳牛で勝負されておられますこちらの南ヶ丘牧場さん。
その国内ではなかなかいただけない貴重なしぼりたての牛乳をいただかせていただきました。
「濃いですね・・・」
これほど濃い牛乳をいただいたのは初めてかもしれません。
「いやあかなりこくがありまったりかんのある牛乳です」
すごいなこのガンジー乳牛の牛乳。
ついでにこちらのプレミアソフトクリームもいただかせていただきました。
「結構柔らかいです・・。」
急いで食べないと地面に落としてしまう感じもいたします。
「これもまた濃厚・・」
ただソフトクリームマシーンの影響からなのか、
北海道でいただくものよりも、口どけが重たい印象。
空気含有量がやや少ないのかなあ、
後味にすっきりした余韻が弱いでしょうか。
この牛乳にイタリア屈指のジェラートマシーンのカルビジャー二のマシーンで
ソフトクリームを作ったらかなり凄いソフトクリームができそうな予感は
いたしましたね。やはりソフトクリームは原料もそうですが、マシーンの力も
大きいように思います。個人的な意見ではありますが・・。
ただあのマシーンはかなり高価なので、導入するにはかなりの勇気が必要だと思います。

美味しい牛乳とソフトクリームをいただいたあとに
こちらにいるたくさんの動物たちと触れ合わせていただきました。
うさぎちゃんが可愛かったなあ^-^ひさしぶりにだっこして嬉しかったです。^-^
帰りにこちらのお土産店に寄せていただきました。

ヒマラヤでは、先日衝撃的な巨大な地震があり、多くの犠牲者の方が・・・
この場をお借りいたしまして、心より哀悼の気持ちを表します。
何ができるかは分かりませんが、なるべく今後はネパールの方々のためになるかは
わかりませんが
ヒマラヤのお塩を使っていけたらなと思っております。
なんとも報道を見るたびに辛いですね。