ご機嫌いかがですか?
いま、そのときに思っていること、感じたことを、述べたらなと思う次第であります。

プロフィール

こみけん

Author:こみけん
FC2ブログへようこそ!



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



ブログ内検索



RSSフィード



リンク

このブログをリンクに追加する



最近の記事



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



福岡のジェントルマンを体現するSさんのお店、大野城市にあります菊鮨さん

大野城の名前が気になったので、少し調べて見ました。

大野城市の名称は、天智4年(665年)、大野山(現在の四王寺山)に築いたわが国最古の朝鮮式山城「大野城」に由来するそうです。
「大野城」がつくられた理由は、天智2年(663年)、朝鮮半島の白村江(はくすきのえ)の戦いでわが国の遠征軍が敗れたためだそうです。
唐と新羅の攻撃に備えて、平野が最も狭くなった所を人工の土塁、「水城」で防ぎました。「水城」は太宰府との市境に今も残り、長さ1.2キロメートル、基底部幅80メートル、高さ10メートルを誇るそうです。「水城」「大野城」は佐賀県基山町を中心に広がる「基肄城」とともに日本を守るため連携して防衛にあたったそうです。
福岡市の南に隣接し、古くから博多と大宰府を結ぶ交通の要所として繁栄したようです。
現在も国道3号や九州自動車道、福岡都市高速道路、JRと西鉄が通り、福岡空港にも近い、交通の便に恵まれた地域なんだそうです。
20180508000444393.jpg

ご主人のSさんの漬け場でお客様の前で、シャリを切る風景は、個人的には初めて見る経験でした。
赤酢と白酢の二種類のしゃり、それぞれの飯台で切り分けて、素早く混ぜていく。
お客様に今日はこのシャリでいただかせていただきます。というSさんのご挨拶のお気持ちを感じ入りました。
Sさんのこのスタイルは、僕の親父世代の職人の方から見れば、お客様の前でシャリ切る者がいるかと寿司屋の裏仕事を見せることに否定的に育った世代の方々にとりましては、どやされそうな風景ではありますが、現代の新たな流れの中では、賛否両論はあるかとは思いますが、お客様に裏表のない誠心誠意の気持ちを見せる意味では、これもありなんだろなと思いました。僕も店では、お客様の前で魚を捌いたりしてますので、新たな切り口という意味では、なるほどと思った次第であります。

2018050800045930f.jpg
2018050800053355d.jpg

Sさんの仕事ぶりを拝見いたしまして、全体的にお時間の使い方がゆったりとしているなと感じました。
多分これは、ご自身のヨーロッパでの経験からくるものかなあと類推いたしました。
Tさんのお話に寄れば、Sさんは、今のお店を継がれる前は、モナコで仕事をされていたそうであります。
僕もだいぶ前にスペインに行って思い知ったことですが、日本とは時間の使い方がかなり異なるということでした。

20180508000515293.jpg

後ほど

お寿司屋さんシリーズ 銀座「鮨 とかみ」さん

ニュージェネレーション。
稀代の寿司業界を担っていくだろうOさん。

北海道の日本料理屋さんでの修行経験値のあるOさん、
おつまみの美味しさは、既に
銀座ではもうトップレベルなんじゃないでしょうか。

前主人のSさんとは違った鮨のアプローチの仕方。洗練性を強く感じました。

まだ30代の前半のOさん,
その若さが羨ましい。
休みの日は、全て食べ歩きに費やす、
彼の貪欲な姿勢は、いつの日か、実を結ぶことでしょう。

彼にまだ足りないものがあるとすれば、お隣に座られた師匠のSさんの迫力。
SさんのOさんを温かく見守るお気持ちを
熱く感じ入りました。
常に神経を張り巡らせなければいけない
銀座という場所で勝負することの厳しさ、
一瞬感じました。

鮨道

ℹ︎さん

ℹ︎さん

新橋すげぇや。

銀座東急プラザ回転寿司花まるさん


こまいの子

ほや

めふん

北海道の回転寿司屋さんが好きな妻の付き添いで(苦笑)
スカイツリーの同じ北海道の回転寿司屋さんの
トリトンさんより面白いネタがあって
愉しかったです。

衝撃。

昭和の30年代の終わり頃、銀座屈指。日本一の鮨屋と言われた
我が父が修行した銀座の鮨の名店Nさんが既に閉店していた
とは。
信じられません。
あの世の父もこの事実を聞いてどう思うのだろうか。
個人的には日本一美味しいと思ったあのかんぴょう巻きを
もう食べられないのかと思いますと、
時代の流れとはいえ、寂しい。
ただただ寂しい。
Nさん.またもや貴重な情報をありがとうございました。