ご機嫌いかがですか?
いま、そのときに思っていること、感じたことを、述べたらなと思う次第であります。

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20代からの憧れのお店訪問 元赤坂「懐石 辻留」さん ラスト

お暇前にいただきましたほうじ茶を飲みながら、あ!そう言えば、自分の店にそのままにしておいた
朝方の仕入れに行った魚を早く捌かなければならないことを
思い出し、名残り惜しかったのですがいそいそと帰りの身支度をすることに。
玄関先には既に先ほどおもてなししていただきました仲居さん、iさんの奥様がご挨拶の為、
お待ちになってくださりました。
僕が「大変ご馳走になりました。美味しくいただきました」とお礼を述べますと
突如左側横のお部屋からライオンのような形相をした人物が現れました。
一瞬の出来事でした。
誰だ?
その方が現れるなり、
大きな声で
「ありがとうございました!」との凄いお声が。
僕がその方を食い入るように見て、思わず
「本物だ!」と。
その方こそ辻留さんの御主人辻義一さんでございました。
凄いオーラを発しておられます。
これ程のオーラを間近で感じたのは、小野次郎さんと握手して以来かもしれません。
すげぇ迫力…圧倒される。

一瞬の出会い、それだけで充分でありました。ただただお辞儀をしてその場を立ち去りました。

20代の頃は吉兆さんのような華やかな料理に憧れて。
30代の頃はつじどめさんのようなしみじみとした料理に惹かれて。
今や12冊もの辻留さんの関連の書物を有するようになりました。
僕にとってはベースとなっているお料理。
ようやく本家に伺うことができて安堵。
やっぱりしみじみとした美味しさは僕の性分に合っていることを再確認いたしました。

高校時代以来の訪問の元赤坂にあります豊川稲荷さん。
せっかくなので帰りにちょっと寄らせていただきました。
本家は愛知県豊川市にあり、こちらは分家。
起因されたのは、豊川市出身の大岡忠相公。
南町奉行大岡越前の守さんと呼ばれていた方。
一旗本から大名まで上り詰めたのは、江戸時代ではこの方だけだったそうであります。
江戸時代は大岡さんのお屋敷があった赤坂の一ツ木通り沿いにあったそうでありますが
しばらくしてこの敷地に移られたそうであります。
大岡越前の守さんにちなみ立身出世を願う参拝客の方で賑わっているそうです。


青山通り
三宅坂から渋谷の明治通りまでの間を言う。
江戸時代には厚木街道と呼ばれていたそうであります。五街道に次ぐ主要な街道と1つであったそうであります。
明治時代に入りますと、急速な交通機関の発達により大規模な道路改正計画が公示されるも、日清戦争の影響で計画は頓挫したそうでして。
1904年(明治37年)には市電が青山通りの三宅坂から青山四丁目(現在の外苑前付近)まで開通、明治末には内堀通りから渋谷までが路面電車で結ばれていたそうです。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)により、赤坂地区(赤坂・青山)は激しく被災、被害率は98.3%にも達する焼け野原となったそうです。
日本の敗戦後の1962年(昭和37年)、「青山通り」の呼び名が正式名称として採用されたそうであります。
。さらに、1964年(昭和39年)の東京オリンピックに向けて大幅な道路の拡張工事が計画され、これが大きなターニングポイントとなり、現在の青山通りの姿に向かうこととなったそうです。
工事の結果、青山通りはそれまでの22mから現在の40mの道路へ拡張が行われ、昭和43年9月29日、長年にわたって、親しまれてきた路面電車(当時、都電)は、青山1丁目~渋谷区間が姿を消し、以後、青山通りは自動車が独占する通りとなっていったそうであります。
青山通りからの眺めもなかなか心地よくて
自らの気持ちを清める手助けをしてくれた感じです。

和菓子のお店赤坂駅に程近い塩野さんにもよらせていただきました。
こちらの御常連のTさんにも前々から美味しいよと言われておりましたが
ようやく伺うことが出来ました。
甘さの加減が程よく後を引く美味しいお菓子でございました。
赤坂の住人の方が羨ましくおもえました。

京都在住時の20代の頃。
休みの日にこの眺めを京津線の車窓から毎週のように見ておりました。
いつも気になっておりました辻留さん。
ようやく伺うことが出来ました。
嬉しかったです。
ようやく次の一歩に進めるように思います。
このシリーズ終わります。

20代からの憧れのお店訪問 元赤坂「懐石 辻留」さん パート12

食事のしめ。
イチゴ。
味的には、女峰に近い味の苺でしたでしょうか。
甘みは幾分弱めではございましたが、爽やかな薫りは中々でした。

辻留さんの自家製ではなかったのがちょっとだけ残念ではございましたが、
この後に伺うことになります地元赤坂にある和菓子の名店塩野さんによるものとのこと椿の花を表したねりきんとん。お味は
京都の和菓子に近い味に感じました。

iさんの奥様直々に点てていただきました
濃茶。品のある優しい奥様のお人柄が
滲み出ておりました。
限りなく淡く優しい。
結構なお点前でございました。

お食事後、
暫し奥様と歓談。
お着物姿の女性の方とお話しいたしますと
結構緊張するものでございますが、
iさんとの馴れ初めなどのお話しまでお聞かせいただきまして、とても楽しいひとときでございました。
ありがとうございました。


20代からの憧れのお店訪問、
二十五年掛かりましたが、
素晴らしいひとときでございました。
今訪問のきっかけを作っていただきました
ℹ︎さん、ならびに素晴らしいおもてなしを
していただきました奥様にはこの場を
お借りいたしまして、厚く御礼を申し上げる次第でございます。

20代からの憧れのお店訪問 元赤坂「懐石 辻留」さん パート11

御飯をお茶碗に入れることを
「装う」と言います。
懐石において御飯の意味を考える場合、
見た目を大切にすることが重要なんだそうです。
従ってごはんをよそうときは、飯碗に7~8分目くらいに入れる決まりごとがあるそうであります。
ごはんはふわっとした感じに装う。
料亭などでは、お酒を飲んだ方には、3、4口で食べられる程の量にする慣わしがあるそうなんだとか。

小豆が入った鯛の炊き込みご飯。
鯛飯は調べて見ますと愛媛県が発祥なんだそうです。
全国に広まるようになったのは昭和の50年代の終わり頃だった
そうでして、その美味しさに比べて歴史の浅さに意外な気持ちを覚えました。
ご飯の炊き加減はしっかりと粒が感じられる程良い硬さの炊き加減。
一緒に炊かれた小豆の風味が鯛飯の味に深みを与えているようでここに
ご主人の技を思わず感じ入りました。
赤出汁の味わいも出汁やお味噌が出過ぎないいい塩梅。
お漬物の盛り付けも山形三角形の鉄則通りに。
全てがパーフェクト過ぎて隙がない感じでした。

ご飯の持つ力というのはとても大きいのでしょうね。
満足という気持ちを与える意味においては。
流行りのプレゼンテーションがなくてもその力が凄ければ
人を有無を言わせず感銘させることが出来る。
この領域に来るまでには相当の鍛錬が必要なんでしょうね。
果たして自分はどうなのか?と問われたような思いでございました。


20代からの憧れのお店訪問 元赤坂「懐石 辻留」さん パート10

いよいよお料理も佳境を迎えました。
御飯の前の最後の一品。
酢の物が配置されました。
お食事の前に口の中をお酢でさっぱりとしていただきたいとの店主さんのお心遣いでしょうか。
茶懐石のお教えのようなものをこうしたお料理の流れから何となく僕のような浅はかな知識しか持ち得ない者でも薄っすらとですが汲み取ることが出来ました。

柔らかく仕上げていらっしゃる土佐酢の加減。
チシャトウの瑞々しさ。赤貝と宍道湖産の白魚の交差するような盛り付け具合。
脇役ではありますが下味がしてある若芽。
魯山人さんの志野の器に見事に映えておられました。

懐石の意味を考えてみますと
懐石とは茶の湯の食事であるそうです。
正式の茶事においては、「薄茶」「濃茶」を喫する前に提供される料理のことなんだそうです。
千利休時代の茶会記では、茶会の食事について「会席」「ふるまい」と記されており、
本来は会席料理と同じ起源であったことが分かります。
江戸時代になって茶道が理論化されるに伴い、禅宗の温石(おんじゃく)に通じる「懐石」の文字が当てられるようになったそうであります。
懐石とは寒期に蛇紋岩・軽石などを火で加熱したもの、温めた蒟蒻(こんにゃく)などを布に包み懐に入れる暖房具を意味するそうでして。
「懐石」が料理に結び付く経緯は、
修行中の禅僧が寒さや空腹をしのぐ目的で温石を懐中に入れたことから、客人をもてなしたいが食べるものがなく、せめてもの空腹しのぎにと温めた石を渡し、客の懐に入れてもらったことから起因するようであります。

天正年間には堺の町衆を中心としてわび茶が形成され、その食事の形式として一汁三菜が定着する。
また江戸時代には、三菜を刺身(向付)、煮物椀、焼き物とする形式が確立する。さらに料理技術の発達と共に、「もてなし」が「手間をかける」ことに繋がり、現在の茶道や料亭文化に見られる様式を重視した「懐石」料理が完成したようであります。
現代では茶道においても共通する客をもてなす本来の懐石の意味が廃れ、茶事の席上で空腹のまま刺激の強い茶を飲むことを避け、茶をおいしく味わう上で差し支えのない程度の軽食や類似の和食コース料理を指すといった実利的な意味に変化していったようであります。

20代からの憧れのお店訪問元赤坂「懐石 辻留」さん パート9

「失礼いたします」との抑揚の利いたお声とともにℹ︎さんの奥様が金箔が施された輪島塗りのお椀をお持ち下さりました。
「汲み上げ湯葉白みそ胡麻餡でございます・・・」
「ありがとうございます。」

Iさんの奥様の落ち着きのある立ち居振る舞い御着物のの着こなし、すべては一朝一夕でできるものではなく
日々の精進の積み重ねからなせるものであると僕のような若輩者が申すまでもないことでございますが。
美味しいお料理以外に、こうした日本の伝統の美しさに触れられることはケではなくハレのための
懐石の持つ重みというのか、日本人がいつまでも忘れてはいけないべきものであるとの想い。
色々身に染みて心洗われる瞬間でありました・・・。


仄かに立ち上る白味噌の香り。
まったりとした湯葉とそれを引き立たせる出過ぎない白味噌胡麻餡の味わい、
そしてそのお味を単調にさせない脇役の柚子の香りと酸味。
バランスよく仕上げられた食後の上品な気分にさせる余韻。
これぞ、辻留の真骨頂と思わせるような素晴らしき一品でございました。