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四谷から新橋までぶらり散歩 パート6

何かおぼろげながら目を凝らしてみると洋館のような建物が遥か遠くに見える。その建物が何であるのかちょっと確かめたくなったので勢い近づいてみることにした。外堀通りの道は二手に分かれるようになっており、上に掲示してある道路案内の看板を見ると右側は国立競技場へと繋がる道になっており、左側の方は赤坂見附へ向う道になっていた。その分かれ道のちょうど真ん中に一本線のような道路がかなりの広い幅で敷かれていてその先には何か日本のものとは思えないようなかなり大掛かりな洋風の建物がずっしりとした重厚な雰囲気でそびえていた。歩を進めながらその建物に近づくにつれ、その存在が何であるのかその建物の前にある調度を施した鉄の門とその奥に見える洋風スタイルの広い庭を見て思わず理解した。うん、ここは迎賓館ねえ。うん、なるほど、ここにあったんだねえへええ、凄いなあ。テレビなどでは今まで見たことはあったけれど、まじかでこうして見るのは初めてである。それにしても広いですねえ、この敷地は。鉄製の門越から中の様子を伺ってみると、辺りの様子を見て暫くしてここが日本とは思えない何かヨーロッパのとある街に自分がいるような錯覚感さえ覚えた。見事な建物ですね、これだけ立派な外観の建物であると重要な海外からの国賓の方をおもてなすにしても充分な説得感を与えます。前にあるお庭をじっくり見てみると、松の樹木が多く植えられているのに目に付く、ちょっと皇居前広場の雰囲気にも似ているのかな、この点がちょっと日本的な気もする。あとで調べてみたのであるが、この迎賓館は元は明治42年に大正天皇の皇太子時代の住まいの東宮御所として建てられらのが最初だそうで、その後赤坂離宮と変遷して、池田勇人首相の頃に今のような迎賓館として使われるようになったそうである。これまでここで数多くの海外からの国賓の方をお迎えしその役目としてはかなり日本のために頑張ってくれているこの建物が、これからも末永く今までのようにそのお役目を果たしてくれることを切に祈りながら、ここを後にした。
また道路を赤坂方面の道に戻り、歩を進めることにした。進路を進むにつれ道が下り坂になってきた。道の右側の木々がうっそうとしてきてその緑の量がどんどん増えていくようになってきた。歩いていると、遠くの空からケケケケケというよく時代劇ににでもよく聞く鳴き声がする。ああこれはひぐらしの蝉の鳴き声だなあと思った。珍しいですよね都内で聞くのは。以前調布にあります深大寺の植物公園に行ったときに同じ鳴き声を聞いたことがありました。それ以来かな。何か江戸の気分に戻ったような感じ。右側に沿って歩いていると、外観から何だか武家屋敷のような、それとも大きなお寺のような建物に出くわすことになった。坂を下りながらうっそうとした木々と高い塀がいくどもずっと続いている。何だろうなここは?日がもう沈み始めて辺りがすっかり暗闇がかってきたので、その建物入り口には近づけなかったもので、後で帰宅して調べてみるとそこが東宮御所であるのを知った。なるほど。あそこに愛子様がいるんだねえ。日本の重要な建物がありますね、この地は。坂を下りながら途中何人もの坂の上へ上っていくジョギングをしている人達とすれ違った。坂の勾配は厳しいので大変だと思いますがこの辺りをジョギングするのは景色がいいし気持ちいいでしょうねえ。道の左側の遠くには丸い円盤のような建物が最上階に据え付けてあるのが特徴のホテルニューオオタニのビルが見える。この辺りは紀尾井町なんでしょうね。紀尾井町の地名の由来は当地にかつてあった紀州徳川家中屋敷、尾張徳川家中屋敷、彦根井伊家中屋敷がこのあたりにあったことからその頭の字を取ったことからされているそうで、こんなところからも何となく江戸の香りがしてくる。坂をようやく下り終えて、前方右側に赤坂見附の交差点が見え始めた。←クリック