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東北巡礼の旅 パート4

弁慶の母弁吉は、紀州田那部(和歌山県田辺市)の郷士である誕象という男が熊野権現に祈って授けて
もらった娘だったそうでしたが、二十歳になっても結婚相手に恵まれなかったそうであります。
そのことを悲しんだ両親は、出雲の国の結びの神(安来市西松井町)の出雲路幸神社に祈って
良縁を得させようと考え、弁吉を出雲国へ旅出させたそうであります。
出雲路幸神社に到着した弁吉は七日七夜参詣を続け、夢で枕木山の長海村で七年間住むことで
願いはかなうとのお告げを得る。
弁吉はお告げに従い長海村に住み着き、三年経た頃山伏が来訪、山伏は出雲の神の縁結びにより
弁吉の夫となる事に決まったと告げ立ち去った。
この後弁吉は身篭り、その後、1151年 (仁平元年)3月3日に、弁太、のちの武蔵坊弁慶が誕生する。

武蔵坊弁慶という人物が実際には存在してはいなかったという事実を知った時は正直
ショックではありました。

全ては源義経公が亡くなって200年後に書かれた「義経記」という物語で話に膨らみを
与えるために登場した人物。実際にはその頃義経公を支持した比叡山の悪僧達の所業を
まとめて一人の人物として集約した形を武蔵坊弁慶として現わされたとのこと。

五条大橋で初めて牛若丸と弁慶が対峙したのも、まだそのころには五条大橋自体なかったそうですし、
平家討伐の折の弁慶の活躍も鎌倉時代の史実書である「吾妻鏡」にも全く記述されていなかったそうですし・・。
すべてはフィクション・・・(苦笑)

ここ平泉に行かなければ、その事実を多分知らないで良かったのを、
知ってしまったということで、まあなんとも言葉では言えない煮え切らない
感情が芽生えてしまったことが、もの悲しい感じであります。
バス停そばにあります門前のこの観光客向けのお墓にある種の違和感が。
はああ・なんとも・。