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国内最大級、秋田県八郎潟の鰻

1.8キロ。
重み?
この八郎潟の鰻に詰まった歴史的な想いというべきか。
そのことがこれだけ八郎潟の鰻を巨大にさせた
理由の一つになっているのではないかと、
思わずそう考えざるを得ない気がいたします。

20141025103748c8f.jpg
かつて、戦前までは琵琶湖に次いで国内で二番目の
大きさの湖であった八郎潟。
戦後の食糧難の流れから、最深部が5メートルという浅瀬という
観点もあったのでしょう。
潟を干拓して、そこに田圃を増やすという
政策を時の首相の吉田茂氏を中心にして
秋田県知事等を巻き込んだ機運が盛り上がり、年月にして20年という大干拓事業が始まったそうです。
政府は干拓の先進国のオランダから干拓学と測量の権威であったヤンセン教授を招いて、八郎潟の実態を詳細に調査、測量をしてもらい、その当時で最新式の干拓方法を
伝授していただいたそうであります。
しかし、その一方で、着工前の昭和32年前まで八郎潟にいました白魚、公魚、大和蜆、ビワマス、鰻等々、約45種類に及ぶ生態系に必ずや影響を及ぼすことが懸念されておりました。
生きるためにその時点では善かれと思って、こうじた政策。その当時で総工費850億円もの金額を掛けて、昭和52年にようやく完成。
しかし、20年後経った世の中は農業の機械化導入等により、農業生産能力が20年前に比べて飛躍的に高まり、吉田首相の思惑とは裏腹に、米が市場に有り余ってしまう
時代に。そのため、時の政府は米農家に対して、米生産を減らせという真逆の奨励を
する羽目に、、。
いわゆる、後の祭り。


20141025103746702.jpg
政治の評価は後世が決めると、良く言われることがございますが、結果的には
八郎潟の干拓は失政であったとの評価が。

汽水湖であった八郎潟が干拓事業により、淡水湖に変貌し、国内第2番目の大きさであったものが、18位に変わったそうです。

干拓部分が、大潟村という新たな土地になった代償として、古よりその地に息づいておりました多くの水産資源が、減少、絶滅へとの流れになったそうです。

八郎潟の干拓事業後、アオコの発生に悩まされたそうです。行き場のない栄養たっぷりのプランクトンを食べて育っているかなりメタボ体質のこちらの鰻の姿を見ますと、人間の業の身代わりになったように
思えて、いささか哀しさを感じざるを
得ません。


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