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新潟 福島紀行 パート4

会津の名前のいわれを調べてみますと、
はるか昔の700年代に書かれた古事記に
すでに相津の名が記されていたのには
驚かされました。
のちに会津という名に変遷されたとか。
福島二番目の訪問地、会津若松。
いつかは行きたいと常々思っていましたが
ようやく今回訪問する機会を得ました。
戦国時代、伊達正宗氏がこの地を治めていたころまで
ここは黒川という地名で呼ばれていたそうであります。
伊達氏がこの地をそれまで治めていた葦名氏佐竹氏の両軍を打ち破り、
領土拡大の勢いに、時の王、豊臣秀吉氏が危惧を感じ、伊達氏を牽制する
意図もあり、伊達氏の勢力を仙台まで下がらせて、この黒川の地を
秀吉氏の息のかかった伊勢松坂城城主であった蒲生氏郷氏に配置の命を・・。
蒲生氏郷氏がこの黒川の地を拝領してから、この黒川が自身の生まれ故郷の
近江の国日野にある若松の杜にどことなく似ているように思ったようでして、
この黒川の地を会津若松という地名に変更したそうであります。

IMG_0405.jpg
会津若松と言えば、僕の中では江戸から明治に時代が移り変わろう
としていた時に、会津藩主君松平容保氏のために戦った
あの悲しい戦隊、白虎隊のいた地。
という認識が強いイメージがございました。
IMG_0420.jpg
個人的に小学校1年から高校3年まで剣道をやっていた者として、
白虎隊の逸話を中学時代に知って以来というもの、
彼らの生き様には無性に惹かれるものがございました。
IMG_0426.jpg
幕末会津戦争の舞台でもあった鶴ヶ城を望む。今は綺麗な観光的な城に
生まれ変わられました。
その様が逆に僕にはなんとももの悲しく思えました・。
IMG_0421.jpg
白虎隊の最期の地、飯盛山に登ってきました。
このように自販機にも彼らの姿が・・・
IMG_0411.jpg
16歳から18歳という若さで懸命に闘い、最期は自らの刃で
腹をかき切って、この世と別れをつげた・・彼ら・・・。
そのさまを想像しただけで、僕がその立場であったら
果たしてそれができたでしょうか・・
今の今日のような平和な日本があるのも、彼らの真摯な勇気があるからなんだろう。。と。
19人の若人たちのお墓を見て、以前伺ったことのあります、東京泉岳寺にある赤穂浪士の四七氏のお墓と
重なって見えたのはなにか不思議な思いがいたしました。←クリック


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