20代からの憧れのお店訪問 元赤坂「懐石 辻留」さん パート10
いよいよお料理も佳境を迎えました。 御飯の前の最後の一品。 酢の物が配置されました。 お食事の前に口の中をお酢でさっぱりとしていただきたいとの店主さんのお心遣いでしょうか。 茶懐石のお教えのようなものをこうしたお料理の流れから何となく僕のような浅はかな知識しか持ち得ない者でも薄っすらとですが汲み取ることが出来ました。
柔らかく仕上げていらっしゃる土佐酢の加減。 チシャトウの瑞々しさ。赤貝と宍道湖産の白魚の交差するような盛り付け具合。 脇役ではありますが下味がしてある若芽。 魯山人さんの志野の器に見事に映えておられました。
懐石の意味を考えてみますと 懐石とは茶の湯の食事であるそうです。 正式の茶事においては、「薄茶」「濃茶」を喫する前に提供される料理のことなんだそうです。 千利休時代の茶会記では、茶会の食事について「会席」「ふるまい」と記されており、 本来は会席料理と同じ起源であったことが分かります。 江戸時代になって茶道が理論化されるに伴い、禅宗の温石(おんじゃく)に通じる「懐石」の文字が当てられるようになったそうであります。 懐石とは寒期に蛇紋岩・軽石などを火で加熱したもの、温めた蒟蒻(こんにゃく)などを布に包み懐に入れる暖房具を意味するそうでして。 「懐石」が料理に結び付く経緯は、 修行中の禅僧が寒さや空腹をしのぐ目的で温石を懐中に入れたことから、客人をもてなしたいが食べるものがなく、せめてもの空腹しのぎにと温めた石を渡し、客の懐に入れてもらったことから起因するようであります。
天正年間には堺の町衆を中心としてわび茶が形成され、その食事の形式として一汁三菜が定着する。 また江戸時代には、三菜を刺身(向付)、煮物椀、焼き物とする形式が確立する。さらに料理技術の発達と共に、「もてなし」が「手間をかける」ことに繋がり、現在の茶道や料亭文化に見られる様式を重視した「懐石」料理が完成したようであります。 現代では茶道においても共通する客をもてなす本来の懐石の意味が廃れ、茶事の席上で空腹のまま刺激の強い茶を飲むことを避け、茶をおいしく味わう上で差し支えのない程度の軽食や類似の和食コース料理を指すといった実利的な意味に変化していったようであります。
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