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れきしシリーズ 3

向島百花園と意外に関わる玉の井の由来について

僕の店の近所には向島百花園という都営の公園がございます。僕も子供の頃から親しんだこの公園に、
色々といろんな思い出がありますが、一番の思い出は、もう時効だと思いますのでばらしちゃいますが、
小学生だった頃に、悪がき仲間3人とこの公園の中にいる亀を強奪してしまったことでしょう。当時
としてはスリル満点で作戦を練ってどきどきしてそれを実行したことを覚えております。後で、
親にばれて、その亀を泣く泣く公園に返しに行ったのも憶えておりますが・・・。
その向島百花園の歴史について見てみたいと思います。

 向島百花園の地はかつてて寺島・請地など4ヶ村を領した多賀藤十郎という方の屋敷の跡で
ございました。多賀氏は710石の旗本、近江多賀の出で早くは徳川家康に仕えた家柄で
一時は繁栄して多賀4家を数えたが、その内3家まで江戸中期に故あって断絶している。
中には同僚と役目のことで争い刃傷事件を起こし、また何故か当主が逐電したため断絶した
家もあったそうであります。いわば不吉な一族だったそうで。
 当屋敷最後の主となった多賀藤十郎も大番組、書院番組を勤めた歴々の旗本だったが、
法泉寺さんおよび蓮花寺さんの寺領を掠め、年貢を横取りしたため代官伊奈半左衛門に訴えら
れた。そのため正徳三年(1713)寺社奉行本多弾正の吟味を受け、御朱印地を侵すとは不届き
とあって切腹を言い渡された。藤十郎にも言い分はあったに違いないが、取り上げられず恨みを
呑んで屋敷で自裁して果てた。そのお墓は法泉寺さんにあるそうであります。その3年後の
享保元年(1716)多賀家は絶家となり、多賀屋敷は明け屋敷となります。
敷地は略3000坪、武家屋敷らしく周囲に堀を廻らした立派な構えだったが、主の切腹と共に荒れ
るに任せ、軒傾き、庭上草深くして、実に狐狸窟をなす有様だった。
 江戸の喧騒を離れてこの辺りに住み着いた佐原鞠塢だが、郊外の閑居は優雅なものの、暫くすると
退屈で仕方がなくなった。初めは農業をする心算だったが、ふと多賀屋敷のことを耳にするとじっと
していられなかった。屋敷跡を訪れて見て、風雅と実利の両面から再開発を思い立つ。たんと金はあ
る鞠塢は、そっくりその屋敷地を買い取り、敷地内に半ば埋もれていた祠を掘り起こして天神様を祀っ
た。それが百花園の起こりだそうであります。
 余談でありますが、多賀藤十郎についてはもう1つ逸話があります。東向島の辺りを、かつて
「抜けられます」で知られた赤線という売春街で有名でした「玉の井」ですが、この玉は、
この辺りの代官だった藤十郎がお妾の名前に因むそうであります。「井」は涌水地、湿地、
井戸、用水などを表すそうで、玉さんの家にある井戸がこの地にあったということで、
「玉の井」という名前が使われたそうであります。何かそれを知って僕なんか、ちょっと
がっかりしたような、おいおい愛人の名前だったのかよってみたいな・・やれやれ。←クリック




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