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よっぱらいおやじシリーズ 2010 4 「 愛遊割烹天竜」さん

清澄白河という駅は大江戸線と半蔵門線の駅名ではありますが、その清澄白河という名前は、清澄公園からほど近くというので分かるのですが、その清澄という名前はどうしてついたのかずっと疑問に思っておりました。一応この際なので調べてみました。

清澄と白河は人の名前からの由来だそうであります。
「清澄さん」は、江戸時代初期にこの地を開拓した「清住弥兵衛」さんから
(後に、町は「清澄」に改称)。

「白河さん」は、言わずと知れた、寛政の改革行った「松平定信」のこと。
彼のお墓が、江戸深川資料館お隣にある、霊厳寺さんにあり、彼が白河藩の藩主出身だったことが由来しているそうであります。

なるほど、勉強になりました。

ついでに清澄公園についても調べてみました。Wikipediaより抜粋

「この地には元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったと伝えられる。享保年間には下総関宿藩主・久世氏の下屋敷となり、ある程度の庭園が築かれたと推定されている。

1878年(明治11年)、荒廃していた邸地を三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取り、三菱社員の慰安と賓客接待を目的とした庭園の造成に着手。1880年(明治13年)に竣工し、深川親睦園と命名された。三菱社長の座を継いだ岩崎弥之助は庭園の泉水に隅田川の水を引き込むなど大きく手を加え、1891年(明治24年)に回遊式築山林泉庭園としての完成を見た。なお、1889年(明治22年)には庭園の西側にジョサイア・コンドル設計による洋館が建てられている[1]。

害をその後、1923年(大正12年)に発生した関東大震災で庭園は大きな被受けて邸宅も焼失したが、図らずも近隣住民の避難場所となり多くの人命が救われた。それを受けて1924年(大正13年)、三菱3代目社長の岩崎久弥は当時の東京市に庭園の東半分を公園用地として寄贈。市は大正記念館の移築(1929年5月竣工)や深川図書館の新館舎建設(同年6月竣工)など整備を進め、1932年(昭和7年)7月24日に清澄庭園として開園した。」

だそうであります。勉強になりました。
前置きがかなり長くなりましたが、今宵
当店お客様のHご夫妻様のお誘いで、清澄公園から程近いところで、最近かなり評判の高い「「 愛遊割烹天竜」さん
にお招きいただきました。
tenpo.jpg
品の良い入り口ですね。心が引き締まります。


CAD1AYX9.jpg
本日は秋の味覚松茸尽くし料理コース。中でも牛ひれと松茸のサンドイッチにはもう参りました。
CABVT4KZ.jpg
お店のご主人とご常連の某女優さん
CAUIR72O.jpg
Hご夫妻様、こんなに松茸を食べたのは初めてかもしれません。いやあ全てが絶品でございました。
本日はまことにありがとうございました。

清澄白河おそるべし・・・←クリック

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