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うなぎの蒲焼きの歴史

日本人とうなぎとの関わりの歴史を調べてみますとと、古くは
今から5千年前の縄文時代から食していた歴史があったそうであります。
昔は鎌倉時代まではうなぎのことを「むなぎ」と呼ばれていたそうでして、
その理由として、うなぎの胸が黄色い色をしているために、胸黄(むなぎ)と呼んで
いたとか。

大阪湾産天然鰻串指し
CA5VC36F.jpg
うなぎの蒲焼きという名前が最初に使われるようになったのは、室町時代の頃だそうでして、
室町時代以前までは、うなぎは塩で食べたり、酢みそ、または辛子酢で食べられていたそうでして、
室町時代末には、「宇治丸」と呼ばれる料理、ぶつ切りしたうなぎに、醤油や酒、山椒味噌で味付け
した蒲焼きが登場するようになります。
宇治丸の名前の由来は、近江の宇治川のうなぎが美味だった事からだと言われるそうであります。

蒲の穂
250px-Typha_latifolia_02_bgiu.jpg

ちなみに蒲焼きの名前の由来は、ウナギを筒切りにして串にさして焼いて食べた形が、植物の蒲(がま)の穂に似ていることから、蒲焼きと呼ばれるようになったそうであります。

大阪湾産天然鰻地焼きの蒲焼き
CA5P83XC.jpg

現在のように、開いて、タレを付けて食べるようになったのは、18世紀頃からだそうで。
江戸時代の天保年間(1781年~1789年)に、千葉県銚子にある現在のヒゲタ醤油の
五代目当主田中玄蕃(げんば)さんが、濃い口醤油を作り出しました。
 それまで、良い醤油は関西にから入って来たそうでしたが、濃い口醤油が江戸の人の嗜好に合いまして、
うなぎの蒲焼きを始め、寿司、天ぷらが爆発的に流行したそうであります。
これがひいては、関西の薄味に対して、関東は濃い味と言う、料理文化になって行ったそうであります。

うな丼という名前の料理は、江戸時代の末期に入ってからだそうで、
今のうな重という料理は、
昭和35年に東京赤坂にあります鰻店重箱さんと言うお店がうな重を始め、それが高級感があり、
体裁が良いと言うので、他の店も真似するようになったそうであります。
尚、余談ではございますが、鰻の血は人間及び他の哺乳類動物に取りましてはかなりの有毒
でありまして、そのため鰻は生食せずに、火を充分に入れて食べる必要性のある食べ物でもあります。←クリック



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